ヤジディ教徒の医師、ISISの捕虜だった人々の魂を生き返らせる
監禁から逃れた1,000人以上のヤジディ教徒の女性たちを治療した婦人科医は、彼女たちの打ちのめされた生活を再建するための手助けに身を捧げています
公開日 : 2019-01-23
電気スタンドの柔らかな光の下、ソファーの隅に腰かけ、線が引かれたノートを膝に載せたナグハム・ナザット・ハサンは、イラク北部の故郷から誘拐されISISの捕虜となり、逃れてきたヤジディ教徒の女性たちに聞いた悲惨な話を記録するために、1日の終わりのひと時を費やすことが多いのです。
ドホーク、クルディスタン地域(イラク)2019年1月16日 ― この女性たちが苦しい試練から回復する手助けに彼女の4年間のキャリアを捧げて以来、この40歳の婦人科医は1,000人以上の生存者を手助けました。また、証言ともなり、セラピーにもなっている個人的な儀式の一部として、数えきれない程の恐怖のページを綴っています。

「書き留めたストーリーは200以上あります。歴史のために、記録しなければならないと感じるのです」とハサンは説明しました。「家に帰り、聞いたことのすべてについて考え、涙を流すのです。それは、私に心理的な影響を与えました。私もヤジディ教徒であり、女性です。彼女たちのストーリーを書き留めることで、あのトラウマから少しは救われるのです。」
イラク北部シンジャールに由来するヤジディ教徒のコミュニティーは、その古代の宗派にはイスラム神秘主義とゾロアスター教にルーツがあり、2014年8月、武装グループの標的となりました。武装した戦士たちが男性と12歳以上の少年を家族から引き離し、改宗を拒む者を殺害しました。
「家に帰り、聞いたことのすべてについて考え、涙を流すのです。それは、私に心理的な影響を与えました」
推定6,000人以上のヤジディ教徒の女性と少女たちが誘拐され、奴隷として人身売買され、何か月間も、または何年間も捕虜となりました。国連が集団虐殺、人道への犯罪とみなす一連の迫害により、多くは投獄され、拷問や組織的な性的暴行の標的となりました。今日まで1,400人以上のヤジディ教徒の女性たちの生死が不明のままです。
この地域で戦闘が始まった時、ハサンは、モスルの北東14キロメートルにあるバーシカという町の病院で働いていました。彼女とその家族はイラク北部クルディスタン地域のドホークに逃れ、虐殺にあったヤジディ教徒の男性や、誘拐された女性たち、子どもたちの報告を聞き始めました。
数か月後、ハサンは、捕獲者から逃れドホークにたどり着いた2人のヤジディ教徒の女性たちの存在に気づきました。彼女たちを見い出し、ハサンは知らず知らずのうちに、彼女自身の人生の経路を変えていたのです。
「ヤジディ教徒の女性たちがドホークへ逃れて来始めた時、それが私の仕事の始まりでした」とハサンは語りました。「彼女たちが打ち砕かれているのが、私にはすぐ分かりました。彼女たちは人間に対するすべての信頼を失っていました。だから、私はその信頼を再び築くことから始めたのです。」
「私は女性たちに近づき、支援と治療を受けるよう励ましました。私の電話番号を教え、ゆっくりと信頼を築き上げたのです。やがて、新たに逃れてきた女性たち自身が、私に連絡をしてくるようになりました。」
最初、彼女の仕事は秘かに行われました。なぜなら、人々は起こったことに折り合いをつけるために苦闘していたのです。捕虜に対する残虐行為の規模が明らかになると、宗教的・社会的指導者は、捕虜となった女性たちがコミュニティーに戻って来るのを歓迎するよう通達を出しました。
「ヤジディ教徒のコミュニティーは非常に大きな役割を果たしました。これらの女性たちの帰還を受け入れた最初のコミュニティーでした」とハサンは説明しました。「家族に受け入れられ、コミュニティーから支援されることは、重要なステップです。しかし、さらなるステップが必要です。」
彼女の婦人科医としての経験は必須だと分かりました。しかし、生存者には身体の治療よりさらに多くのニーズがあることが、すぐに明らかになりました。「彼女たちの多くは医療的な傷に苦しんでいました。多くは、度重なる性的暴行のために性感染症を患っていたのです。しかし、生存者の心の状態は極度に悪化していました。」
「私には魔法の治療法はありませんでした。しかし、女性として、そしてヤジディ教徒として、多くの生存者が私を信頼してくれるのが分かりました」
「私には魔法の治療法はありませんでした。しかし、女性として、そしてヤジディ教徒として、多くの生存者が私を信頼してくれるのが分かりました。」
彼女が切り開いた関係性を育み、ハサンは、生存者がもっとも安全だと感じる彼らの家を訪問することに、より多くの時間を捧げるようになりました。2年前、彼女は“女性たちの希望を作る人(Hope Makers for Women)”と呼ばれるNGOを立ち上げました。このNGOは、避難中のヤジディ教徒が住むキャンプで生活する女性の生存者に医療的かつ心理的援助を提供します。
ある眩しい冬の朝早く、モスルのダム湖付近のテントキャンプで、ハサンは定期的な訪問を実施します。そして、抱擁とキスで彼女をとり囲む6人の微笑むヤジディ教徒の女性たちのグループが、家族のように挨拶するのです。その後、彼女は患者の1人である、3人の娘とともに約3年間捕虜となった若い女性を訪問します。
「私たちが最初にISISから逃れた後、人生は最悪でした。当初、私はテントから出ることすらできなかったのです」と、この若い母親は語りました。「彼女はいつもそこにいてくれました。彼女は私たちを治療し、世話をしてくれました。この医師は、私が持ち合わせているとは知らなかった強さを見つける手助けをしてくれたのです。」
ハサンは、彼女たちが苦境から回復するのを困難にしている、と彼女が言及する、多くの生存者が未だに耐え忍んでいる生活の状況について指摘しました。「ISISから逃れ、キャンプ内のテントで仕事もなく2~3年間を過ごさなければならない ― あの状況で本当に回復することができるでしょうか?」
UNHCRは、避難したヤジディ教徒の人々に引き続き人道援助を提供すると同時に、カウンセリングの一定基準を確立し、すべてのヤジディ教徒の女性たちと少女たちが十分なケアを受けられるように、パートナー団体とともに尽力しています。
ヤジディ教徒の人々への犯罪から彼らが本当に回復するためには、国際支援は維持されなければならない、とハサンは言います。「モスル解放以来、ヤジディ教徒への国際支援は減少しました。UNHCRや国際連合人口基金(UNFPA)のようないくつかの団体は、今も援助を提供していますが、全体的な支援は落ち込んでいます。将来、この支援が完全に消滅するのではないかと懸念しています。」
「私たち一人一人はできる限りの力を尽くしてISISと闘いました。でも、あなたが私たちの治療をすることを決めた日、あなたこそが最強の武器で彼らと闘いました。その闘いが、私たちの魂を生き返らせたのです」
さまざまな場所で新しいスタートを切ることを選択するヤジディ教徒の生存者のために、彼女は国際社会がより多くの再定住地を提供するよう、訴えています。一方、イラクに留まることを選んだ人々には、彼らの経済的な展望を改善するための職業訓練・雇用創出計画に加え、キャンプの外で生活再建をするための経済的援助が必要だと、彼女は付け加えました。
ハサン自身、同じような境遇を経験してきたヤジディ教徒の生存者やその他の人々を手助けする仕事を続けていくつもりです。「これが今、私の人生でやりたいことです。人々をケアし、支援を必要としている人々を手助けするために、私は医師になりました。私は今も医師ですが、病院で働くことから、人道主義者として働くことへと進んだのです。」
苦悩と痛みの物語で埋め尽くされた彼女のノートのそばに、ハサンが選択した人生の背後にある目標を呼び起こす、もう1冊の本があります。彼女がともに活動した最初の生存者の一人は、その著者であり、ノーベル平和賞受賞者のナディア・ムラドでした。彼女は6か月前に、自身の回顧録をハサンに送りました。
手書きの献呈には、このように書かれています*。「親愛なるナグハム医師。私たち一人一人はできる限りの力を尽くしてISISと闘いました。でも、あなたが私たちの治療をすることを決めた日、あなたこそが最強の武器で彼らと闘いました。その闘いが、私たちの魂を生き返らせたのです。」
Charlie Dunmore and Dalal Mawad
原文はこちら(英文)
Yazidi doctor brings former ISIS captives’ souls back to life
(* 献呈の内容は出版国によって異なります)
イラクの人々が直面する過酷な現実
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